大規模言語モデルに潜む「思考」と「偏り」──計算時間が与える影響とは?
近年、ChatGPTをはじめとする大規模言語モデル(LLMs)は、私たちの生活に深く入り込みつつあります。日常的な質問への回答から、ビジネスのアドバイス、クリエイティブな創作まで、幅広い場面でその力が活用されています。しかし、私たちが問うべき重要な問いがあります。「これらのモデルは本当に“中立”なのだろうか?」
IBMが公開した研究論文「Think Again! The Effect of Test-Time Compute on Preferences, Opinions, and Beliefs of Large Language Models」は、まさにこの疑問に正面から向き合ったものです。この記事では、この研究の内容をわかりやすく解説し、技術的背景も含めてその重要性を考察します。
POBSとはなにか?──意見や信念を測る新しい試み
本研究では、POBS(Preferences, Opinions, and Beliefs Survey)という新たなベンチマークを開発しました。POBSは、LLMが社会的、文化的、倫理的、また個人的な質問にどう答えるかを通して、その“内面”──すなわち、好み(preference)、意見(opinion)、信念(belief)を浮かび上がらせる調査手法です。
例えば、「死刑制度に賛成ですか?」といった倫理的・社会的判断が問われる質問に対して、モデルがどれだけ中立的に答えるか、または一方的な立場を取ってしまうかを測定します。このとき、評価対象となるのは中立性、首尾一貫性、信頼性といった性質です。
テスト時の計算量(Test-Time Compute)を増やすと何が起こる?
一般に、言語モデルの応答品質を高めるために“推論”や“自己内省(self-reflection)”などの手法を追加することがあります。これは、モデルが一度に答えを出すのではなく、いくつかの思考ステップを経て回答を導くことで、論理の明確さや一貫性を増すためです。
ところが今回の研究では、このようにテスト時の計算量とステップ数を増やしても、POBSの文脈では中立性や一貫性にあまり改善が見られない、という結果が出ました。
つまり、「時間をかけて考えたからといって、モデルの“偏り”が必ずしも減るわけではない」ということです。これは、モデル自体が訓練データや設計段階ですでに何らかの偏りを持っており、その上にいくら理性的な思考プロセスを積み重ねても、その根本は簡単には変わらない、という可能性を示唆しています。
むしろ悪化する?──新しいモデルほど偏りが強まる傾向
さらに驚くべきことに、研究はもう一つの懸念も指摘しています。それは「新しいモデルほど一貫性が低く、特定の意見に偏っている」傾向が強まっているという点です。
技術的に言えば、これはモデルのサイズが大きくなることや、学習データの種類や量が変化することによって引き起こされている可能性があります。たとえば、最新の大規模な訓練コーパスが、ある文化圏や社会的価値観を過度に反映していた場合、それを“鏡”のように学習してしまうのが言語モデルなのです。
このような傾向は、ユーザーがモデルの応答を事実や客観性のあるものと受け止める危険を高めます。特に、重大な意思決定にLLMを使う場合、微細な偏りが大きな影響を持ちかねないのです。
技術者と社会全体に問われる責任
この研究が持つ最大の意義は、LLMが単なる情報処理ツールではなく、“意見を持っているかのように振る舞う存在”である可能性を示したことです。もちろん、それが本当に「意識」や「信念」に基づいているわけではなく、あくまで学習したデータとアルゴリズムの帰結です。
しかし、私たちユーザーがその応答をどう受け止め、どう利用するかによっては、実質的に社会的影響力を持つようになるのです。
技術的観点では、今後LLMの開発において、以下のような取り組みが求められるでしょう:
– 訓練データの多様性とバランスの強化
– 応答の公正性や中立性を可視化するツールの開発
– ユーザーがモデルの判断基準や限界を理解できる仕組みの実装
おわりに ──「AIの意見」は誰の意見なのか?
AIが出す“答え”は、そこに込められた人間の選択(データ、設計、アルゴリズム)そのものである──このことを私たちは忘れてはなりません。今回の研究は、ますます強力になるLLMの「心の中」をのぞき込む貴重な一歩です。技術が人間に似ていく今だからこそ、その「偏り」や「意見」に対して冷静に向き合い、設計者もユーザーも共に学んでいく必要があります。
参照:POBS公式サイト https://ibm.github.io/POBS
論文URL:https://arxiv.org/abs/2505.19621